聞いた話と受け継がれたい笹巻
                             須山  水林 重作

 昔「舘」の城、一の家老、林三十郎という人が、谷へ逃げ込んで身を隠して住んだ。
 後に「須山」と名付け、本人が林であるがために、水林三十郎と名を改めて生活を始めたのが、
この村(須山)の始まりである、ということを親の代より聞かされております。

 名所といっても、現在残っているところを紹介してみると…

 林道大岩〜滝橋線の中間点に、須山字滝の上という場所があります。
 そこには、小川が流れ、林道が横断しています。その流れ落ちている少し横の方(大岩より)に、
行基菩薩(奈良時代の僧)が、不動尊を刻もうとしたが、岩が硬くて断念し、大岩方面へと移動し、
現在の大岩不動尊が誕生したと言うことを聞いています。
 今も、その場所には、樫の木が7本くらい立ちはだかっています。

 次に、石切山を紹介します。
 林道大岩〜滝橋線に、幾ヶ所にも大きな穴があります。
 明治初期頃から、大正〜昭和の35・6年ごろまで、その岩を切り落として住まいのコタツ・かまど
(もみがら、薪などを使う)根太石(家を建てるときの基礎石をいう)などがたくさん切り出されて、
生活に利用されていたものです。
 火に強く、その頃は町の商店からたくさんの注文を受けて、毎日忙しい日々を送りました。
 堤谷部藩の何人かと一緒になって、その技術を競い合ったものです。
 今は、誰も技術を身につけた方はおられません。その石切で苦労しながら生計を立てて過ごしたことが
思い出されます。

 須山名物、笹巻(千巻)のお祝いもの(田植えあがり)を紹介します。
 それは、明治維新からかもしれませんが、明治〜大正〜昭和〜平成の今日まで
受け継がれているものであります。
 田植えあがりの頃に、よく作って食べ、おやつ代わりにもなっていました。
 6月頃に、笹の葉の新葉(やわやかいもの)を摘み取って、水洗いをして、きれいに拭き、もち米と、
小豆またはグリンピース(えんどう豆)等に塩少々を入れて全体を混ぜ合わせて作り、その作りあげたものを、
なべ、お釜などで煮込みます。
 少し時間がかかりますが、出来上がったものは素晴らしく、すぐ手にとって食べたくなります。
 1個食べ、また1個食べ、しまいには、食事抜きになる。もち米をたくさん食べるものだから、
おなかがいっぱいになって何もいらなくなります。

 笹は、三角にして米を入れ、笹でふたをした後、その三角のところを“スゲ"(糸ススキのようなもの)
というもので縛る。
 これがどうして伝わっていったか、北日本放送の朝のテレビ"おはようKNB”に放送されて話題になり、
一躍有名になったこともありました。

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