湯の谷の湯よ もう一度
                       堤谷 谷吉 行雄

 堤谷集落の小字に「湯の谷」という場所がある。

 昔々、古老からの伝説によれば、この谷にはこんこんと熱いお湯が湧いていたそうな。
 ある日、村の人が田仕事をしており、馬と一緒に連れ立ってそのお湯で泥を落とし、
汗だらけの身体を洗ってすがすがしい気持ちになったと。
 ところが、翌日お湯が止まり、水になってしもうたと。
 馬の足を洗ろうたから、お湯の神様が腹を立てて、
一夜のうちに下新川の小川の湯まで飛ばれたとのこと。
小川温泉の元湯の薬師堂にそれらしいことが書いてあるそうな。
小川の温泉まで出かけて、一度は見たいものである。

 もし、昔のように「湯之谷」に湯が出ていたら、まったくの様変わりになっていたであろう。
「湯之谷」の湯のことについては、「白萩校下の沿革史」(其の一)や、「白萩小史」にも出ているが、
夫夫に異なっている。

「白萩校下の沿革史」(其の一)は、白萩尋常小学校発行となっており、
昭和6年から、昭和16年までの校長、古川喜代吉先生の編集である。
その中で、湯神子村名の起源のところに、

  「大昔湯の谷より温泉湧出したるに因り取りて村名とす。
   温泉湧出の所は、その形跡今に存在す。」

とあり、「白萩小史」は、白萩中学校発行で、昭和30年10月、時の校長、石原与作先生が編集されたものである。

 その中の「郷土部落の起り」に、「湯神子」があり、それによれば、
  「昔時、今の上市大岩街道の西方にあった、『湯之谷』に温泉が出ていたので付けられた名である。」
「郷村名義抄」には、
  「此村青年野中に温泉御座候、神子一人参候て入湯候得は湯絶申候、其後右の野を新開仕村立候に付、
   湯神子村と申由伝え候」
とある。
 ここでも湯神子が問題になっているが、堤谷が出てこない。
 また、「村の開発と口碑伝説、古記録」の中での堤谷については、
  「部落は元は南方の湯の谷にあったが、後にあざ古屋敷に移り、中の屋敷に出て、その後今の地に出たものである。」
 昭和45年2月、編纂発行の「上市町誌」でも定かではない。
 富山健康科学専門学校が建ち、四つ葉園もできて、「湯之谷」の形も変わったが、
古老の話も遠くなった。

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